目に砂

人生の人生

映画感想:アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド

サブタイトルいる? いらんて。

 

自己投影向けコンテンツを追い求める夢女としてはそういったものの行き着く先の一つになりうる題材だと思ったので観るって決めていました。私は真面目なキモオタとして自分の好きなものには真摯でありたいからです。

 

結論から言うと観てよかったと思いますが心の落ち込みがすごい。主人公の抱く葛藤のすべてに共感してしまうし、上映中6〜7割の時間泣いていました(そういう映画ではないです)。

 

自分の心を満たすもの、肯定してくれるものは生活に必要です。なにも成し遂げてなくても、世の中に価値を示さなくともかまいません。それらは富や名声をもたらし裕福な生活を実現するためには必要でしょうけれど、生きるための要件ではありません。生きることに要件などないのです。誰にも誰かの生にケチをつける権利などありません(ケチをつけるのは自由ですが無意味ですし、誰も従いません)。あなたも私もそれ以外の人もすべて、ただ存在するだけでいいのですし、幸せになっていいに決まっているのです。

ただ、まあ、こちらに都合よく無条件に自分を甘やかすものはあくまでコンテンツのなかにとどまっていてほしいかなというのが正直なところです。犬を家族に迎えるのが難しい人がAIBOに愛を注ぐのとはわけが違う……と私は思います。犬は庇護の対象で、家族と呼べども関係は対等ではありません。自分にとっての理想的な伴侶が与えられるのはおそろしいことです。自由意志を持たず、こちらの幸せのために奉仕する役割を持った存在を対等な相手として扱うことはさまざまな面で不可能でしょう。

 

私は何者でもない私や、何者でもないあなたをそれでもかまわないのだと肯定し続けたいし、自己投影向け乙女ゲーをつくるのもその一環であると最近では考えています。でもそれは必要な時にだけ自分で選び取るものであって、絶え間なく浴びせられるものではない。そういったものは「常にどこかにあり、必要なときには頼ってもいいのだ」と信じていられるからこそ安心して現実を生きていけるものであり、生活に根付くべきものとは違うのではないでしょうか。

 

似たような題材の映画で「her/世界でひとつの彼女」も以前アマプラで観ました。その時はそんなに落ち込みませんでした。本作とは人工知能に与えられた役割が異なるからだと思います。サマンサのほうが行動に自由があるし(彼女は女性の声を持つ人工知能であり、アンドロイド……ガイノイドと書くべきでしょうか……ではなくOSです。理想の伴侶として振る舞わなければならないなどということはないのです。そんな役割ははなからないのです)。

同じような題材にしても描きたいものが違う(herは恋愛そのものは過程に過ぎず、主人公がその経験から大切なことを学んで成長する話である)からというのは当然なんですけれど、所有者に都合がよくて当然のものをまるで対等であるかのように愛して依存する(生活のなかに組み込む)ことへの精神的ハードルの高さがまるで違うのです。どちらの映画が優れているとかではなく、自己投影向けコンテンツを追い求める夢女という視点における刺さりかたが違うというだけの話です。いずれも観てよかったと思うので機会があれば観てみてね。

 

夢女はときどきこういうコンテンツを摂取して己のあり方を見つめ直していったほうがいいと思います。落ち込むけど。