目に砂

人生の人生

持ち手のねえナイフ(不便)

長所とかの話をします。

 

長所とか短所とか……つまり特性は相対的、流動的なものです。自分がそのときつるんでいる、またはつるみたくはないが所属せざるをえない集団のなかでちょっとだけ飛び出た特性にすぎないからです。つまり集団が変わればなにが飛び出るかも変わるということですね。小学校の優等生が大学の落伍者ということもままありますし(私のことです)。身内では気が利かないと言われ続けた人が職場ではもっとも親切である可能性もあります。地域によって常識が異なるように、集団によってある要素における普通の基準は異なるのです。もちろんあなたの持つ要素のなかで抜きん出たものはあるでしょうけれど、それが集団になったときにどこからが抜きん出たものに該当するかはまた別なのです。

また、長所と短所は表裏一体であるとも思います(今更私がいうほどのことでもないとも思います)。真面目さも過ぎれば融通の効かなさ、おおらかさも過ぎればだらしなさ、礼儀正しさも過ぎればよそよそしさ、親しさも過ぎれば馴れ馴れしさ、いいことはいくらでも悪く言えますし、逆もできます。ある要素が過剰に出てしまった、と自分で思ったとしても、他人が同じように感じるかどうかはわかりません。その基準は人によって異なるので。他人から「○○すぎる」と言われたとしても気にやむことはないと思います。それはあくまでその人の基準に過ぎないので(あまりに色々な人から同じように言われるようなら気にかけてもいいと思いますが)。

 

「いいところを伸ばし、わるいところを直す」という考えがありますが、それは人間に適用するには難しいと思います。もしかしたらあなたは例外かもしれませんけれど、私は、そしておそらく多くの人間はその時の体調、心情、環境その他諸々にびっくりするほど影響をうけます。そしてパフォーマンスはいつだってブレブレで、厳密さはありません。機械のように精密に動作できればこの限りではありませんが、私は違います(もしかしたらあなたは機械かもしれませんが、おそらく人の形をした存在の大半はそうではないはずです)。長所も短所も同じ要素の出かたです。いつ、どの程度発揮されるのが適切かなんて後になってみないとわからないものですし、予測にも限度がありますし、前述のとおり私たちのパフォーマンスはブレブレ。

長所も短所もおなじ特性なので、長所を伸ばせば短所も伸び、短所を抑えれば長所も抑えられるでしょう。短所と苦手は別物と私は考えます。短所は長所と同じくあなたが多く持っている要素の(望まない形での)あらわれですが、苦手はそもそもあなたがあまり持っていない要素、つまりパラメータが足りなくてスキルが獲得できない状態です。短所(長所も)が過剰なら苦手は不足ということですね。

不足しており、なおかつ伸びにくいパラメータを補うよりかは、たとえ諸刃の剣であっても豊富で伸びやすいパラメータを伸ばすほうが効果は実感しやすいし楽しいはずです。苦手科目をどうしても伸ばさなければいけないのは試験のときくらいではないでしょうか。人生そのものに試験はないので、パラメータの偏りを感じているならあえてオールラウンダーを目指す必要もないでしょう(目指してはいけないということではないですが、メチャ面倒くさそうなので私は絶対やらないですという話です)。

 

私たちは持ち手のないナイフをふるいながら生きていて、ヘンなところを握っているので当然ながら時々ケガもするんですけれど、まあ人生は戦いなのでケガは仕方がないです。せいぜい「私ったらまた人間らしさをアピールしてしまった、なにせAIではないので」とでも思っておけばいいのではないでしょうか。

それはそれとして、失敗したら落ち込みますけどね。