目に砂

人生の人生

ゲーム感想:When The Past Was Around

こないだWhen The Past Was Aroundをやりました。その感想などです。

 

買い切り型のゲームは絶対に完結しているところがいちばんの魅力ですね。(プレイヤースキルの問われる作品はさておき)物語の終わりを見届ける権利を買ったようなものです。

私のこのごろはというと日々スマホアプリのログボをもらって課金欲と戦う日々ですが、貢げども貢げどもその暮らしに終わりはないのです。サ終しない限り。

 

冒頭のゲームですけど、恋人を亡くした女性が過去のことを思い出しながら立ち直るまでのお話です。謎解きをすることで次のお話に進めるのですが、これは頭のなかを整理している描写なんでしょうか。

謎解きの難易度はおそらく高くありませんが、ちょうちょがメチャたくさんいるおうちに住み、そのちょうちょの数を数えなければならない仕様があるので、たとえイラストでもちょうちょを見るのがつらいおともだちはやめておきましょう。私はギリいけました。あと少しリアルだったら投げてたかもね。

 

このゲームの魅力だと感じた点はふたつあります。

ひとつは絵柄があっさりしているところ。明瞭な線と明瞭な塗りで低めのコントラスト。人物に肉感はありません(この作品にそれは必要ないし)。洗い上がって乾燥した清潔なタオルを私は連想しました。こういう感じは安心します。

 

もうひとつは……これが重要なのですが、恋人の人間としての顔が不明なところ。いや、マジでみみずくの頭をしていたのかもしれませんけれど、他の登場人物がすべて人間であったことを考慮するとそんなことはないと思うんですよね。

この作品はほとんどが回想で構成されています。つまり主人公の思い出を見ているんですね。思い出は美化されるといいますが、私としては美化も間違いではありませんが強調されるものというほうがより適切ではないかと思います。すてきだと思ったことはよりうつくしく、ひどいと思ったことはより醜く。過去のことを語るとき、少なからず脚色を加えてしまいませんか? 言葉にせず思い出すだけでも同じことが起きる……ような気がしています。

この作品において恋人の人格はおそらく(主人公がそれを慕わしく思い出しているために)美化されていることでしょう。そのうえ容姿は明らかでない、つまりさらなる美化の余地があります。それがとても上手に作られていると感じます。私たちはその人をいくらでも理想的に想像できるので。物語の空白を楽しむということですね。

 

ところでこちら、Florenceの影響を受けているだろうというレビューをどこかで見たのでそちらもいずれやろうと思います。今はその時ではないですが。